2010年1月10日日曜日

再・構築




かの魔物猛けき檜にしみ入るを
あつめて我に白椿


謹んで新春のお慶びを申し上げ、
良き一年でありますように。

先日深川不動へ厄よけのお護摩と初詣に参ったら、
三が日も過ぎた平日にもかかわらず、
あふれんばかりの人だかり。
こんなにも多くの人が、
来し方一年を終えて新年を迎えるにあたり、
何かを願い、身を正し、手を合わせるものかと、
改めて少し感動してしまったほどに、
昨年は大変な一年だったのかもしれない。



 天地も動かすばかり言の葉の
 まことの道をきはめてしがな
 (明治天皇)

生涯に9万もの歌を読んだとされる明治天皇のこの歌が表すものは、
我が国の想いや言葉はこうして語りつがれ、
国をも治め、人と交流し、内面を昇華してきたという言霊の力。
ガツンときた。圧倒されてしまった。
良きことも悪しきことも、発しなければ実現しない。
良くありたいと願うからこそ、この時に、
大切な一年を、大切な言葉とともにあるべきと思いました。


そして私は、といえば、
能楽堂という怪物との対峙がもたらした、
この変化を、どうして御していけばよいかと思う年の瀬に、
一つ歌を詠んでみた。

能楽堂で私がしたことは、
怪物と戦ったわけでもなく、怪物を制したわけでもなく、
おこがましくも言葉にするならば、
幾多の光の、
幾多の想いの、
力を借りた。
ということだけだったと思う。
私に出来たことはそれだけだったと思う。

人も時代も言葉も移ろいゆくけれど、
そこに宿る心を感じよう。
その構造の相似性を感じよう。

そして今年は瓦解の後の再・構築と。


 きらきらと拾い集めて言の葉を
 いまひとたびの吉とならんや

2009年12月7日月曜日

能楽堂のいうことには

ようやく興奮もさめてきて、
少し平熱を取り戻したと思ったら、
あっという間に一週間が経ちました。

改めまして、
11月29日熱海の能楽堂へ
お運び下さいましたすべての皆様、
また、ご尽力をいただいた関係者の皆様、
厚く御礼申し上げます。

二年前、観客として参加したあの舞台に、
今年、出演者としてプロデューサーとして、
携わることになるとは、あの時は思ってもいませんでした。
過去二回の舞台をつくってこられた方々、
ご縁を繋いでくださった方々、すべてのことに感謝しています。
ありがとうございました。


これまで自分を表現する手段としていた
ジャズのステージからは、
 ーー呼吸変えたの?
 ーー英語の発音よくないよ
と言われながらも(苦笑)
和歌や叙情歌を歌うための“かたち”を模索する日々は、
これまでにない緊張と弛緩を与えてくれました。

美空ひばりさんの歌う日本語の
本当の美しさに、その発音に、
淡谷のり子さんの歌う「宵待草」の
あまりの美しさに、その響きに、
奮えるほどの感動を覚えた、遠い昔から、
今、この舞台を経て、ほんの少しだけ、
その秘密を見た気がしています。

経験してよかったな。
ジャズ音痴になったとしても!(笑)

子どもの頃、祖母は私を
「かーなーこーや」と呼びました。
私は同じ音を読むことはできるけれど、
同じ音を発することはとても出来ません。
おそらく、ほんの少し前の時代までは、
今我々が話している話し言葉でさえ、
違った音だったことでしょう。

どちらを向いても山ばかりで、
山を歩くことさえ信仰の対象であったこの国の、
農耕民族であり、床に座す民族の、
独特の呼吸がもたらす発音を、
もしかすると、近年なくしたのかもしれません。

しかし、「かた・かたち」に凝縮された、
この国のDNAは、何かの拍子にふわっと舞い出て、
我々に安定した情緒をもたらすかもしれません。

と、能楽堂は言っていました。
とさ。

あの日、舞台と客席の皆さんが共有したわずかな時間が、
それぞれのこれからに、小さな何かを残し、
また、芽が開く頃、もし再びお会い出来ることがあれば、
とても幸せに思います。
ありがとうございました。


追加情報:
淡谷のり子さんの宵待草は、
「夢二」(鈴木清順監督)という映画の
エンドロールにて聴くことが出来ます。ご参考まで。

2009年8月21日金曜日

手から手へ

ライブへ向けて少しずつ、
新之介さんの頭の中にある設計図が
かたちを現してきます。

新之介さんは、本当に、細部まで、
明確なご自身の意思を持って、
手から手へ、ちゃんとした温度や質感が伝わる
もの作りをされているのがよくわかる。


考えることがある。
昨年、「デジタルネイティブ」という言葉がメディアに登場した。
ネイティブとはその土地の原住民、
複合的につまり生まれたときからデジタルがある世代を表現している。


私はもちろん、人生の途中から、
デジタルとそれによるコミュニケーションを覚えた世代で、
メールもインターネットもするけれど、
その時の気分や相手や伝えたい内容によっては、
特になんの違和感もなくアナログの通信手段を選択することもあるし、
新しく出会った人を、より知りたいなと思う時に、
その人の肉筆をみたいと思うことだってある。
iTunesやYouTubeはサイコーに素晴らしいけれど、
音楽はライブ、ダンスも芝居もまずは生の舞台を欠かさない。
それが自分のコミュニケーションの基盤だ。

しかし、例えば日常的に手を使って
紙に文字をためていく事はしなくなっているし、
いざ文字を書いてみると、私ってこんな字だったかしら?
と思うほど、自己表現としての運動神経は
びっくりするくらいどんどん衰えている。

世の中は、なんでもかんでもデジタルでアーカイヴされていき、
瞬時に全世界へ公開されて、
写真だって手紙だって、画面の中に目視しかできずに、
手に感触を残さない。
でもこれは悪いことなのか?

いや、そうばかりでもない。多分。便利だし。すごく。


18世紀にイギリスで始まった産業革命は、
その機械工業によって産業や労働だけでなく、
新しい階級をうみ、資本をうみ、
人口や社会、市場や経済のシステムまでを変えた。
機械を使うという単なる技術の問題ではなく、
良くも悪くも世界の構造を新しくした。
将来世界史は、産業革命を悪とだけ言うだろうか。

そして21世紀、デジタルネイティブによる、
システムの革新と再構築が世界を席巻する時がきっとくると思う。

その時我々は、何を取捨選択してゆくのだろう。
デジタルが全く温度を帯びていないとは思わないけれど、
でもそれは、私がアナログ×デジタルの
ハイブリッドタイプだからかもしれない。
生まれたときから誰もがデジタルアーカイヴに
自由に出入りできるようになる時、
それでも手の中に残しておきたいと思うもの、
感覚を残したいと思うものは何だろうか。
そもそも、手に残したいという感情はどこまで残るのだろうか。
大切な自分だけの宝物を、家の秘密の場所に隠して、
両親のいない時に自分だけでこっそり開く、あの時間は、
かたちを変えて、画面の中にしか存在しなくなるのだろうか。
アナログは、あえて特別に選択しなければ、
手の届かないところに行ってしまうのかもしれない。
ただし、その分デジタル世代にとって
生身のインパクトは大きいのかもしれない。



新之介さんは、子どもたちへ向けて、次代へ向けて、
無くしたものを取り戻すのではなく、
持っている力を呼び覚ます、そういう種をまいていこうとされています。
生で受け取る人の声、身体、音楽、感触、
あえてリアルを選択し、経験した時、得る感情を、
持っている感性を育ててゆく、ということ。

手から手へ。

夏の流しそうめんのごとく、
大人は持てる限りのそうめんを、どんどん流し続けてゆこう。
と、新之介さんの姿勢をみながら思うのです。
キャッチする者もあれば、そうしない者もいて、
流されるそうめんもあれば、受け取られるそうめんもある。
そうして持てる限りのそうめんを。。。

ああ。流しそうめん。
随分長いことやってないですよね。


遠い夏の思い出と、夏の終わりによせて。
そうめんのお話でした。

2009年7月12日日曜日

霧の東京湾上空と脳内ブルース

私はこの部屋に住むようになってから、
ちょっとだけ、雨が好きになりました。

しとしとしとしと降る雨も、
とっぷり街を浸す霧のような夜も、
この部屋から眺める東京が、
より、美しいなと気がついたから。
雨が降ると、街がこんな景色になるなんて、
それまでは全く知らなかった。


11月の<和の心にて候>に向けて、
いよいよ具体的な作業が始まってきました。

数ヶ月前、新之介組のみなさんとの顔合わせの後、
初めて踏み入った能楽堂の舞台は、
それ全体が、まるで怪物でした。
体中の細胞はざわめきを押さえきれず、
鼓動は全力で私にエマージェンシーコールを告げました。

例えば、数千人を収容するような大ホール、
野外ステージ、長い歴史のある舞台、
私がいままで出会ったどの舞台とも、それは、違っていました。


700年という時間を紡いだ、
能楽という芸に身を捧げた、
沢山の沢山の方の想念が、ここには、ある。
「純度が高い」と新之介さんは言っていましたが、
そう、つまりオベラをやったりバレエをやったり、
お芝居をやったり、その時その時で通り過ぎてゆく舞台ではないのです。

真情を吐露すれば、怯え打ちのめされてその場を後にしたけれど、
その後に見たMOA美術館の美術品の数々や、
新之介さん、そして新之介組のみなさんは、
そんな憂鬱を、しっとり美しいブルースが鳴り響く脳内へと、
変換してくれました。



そして私は、本番へむけて、
怪物と対峙するために、
毎日隅田川に吠え続けています。

大きな怪物と出会う度に、
その苦しみと引き換えにその幸運に感謝しよう。

そして、今日も美しいブルースを。

がお。

2009年5月7日木曜日

かくも人はデカダンが大きいほどエレガントである。

ヤバかった。

などと、当欄には似つかわしくない表現を使ってしまうのも、
本当にヤバいライブに行ってしまったからです。笑
この日聞いた音楽は、
美しくて美しくて美しく、
私は、また一つ胸の奥の氷のかけらを
ゆっくりとゆっくりと、そしてまた一瞬のうちに、
解放し、気化させ、
まとわりつくようなしっとりとした湿度の中で、
甘く渋いワインをのみ、
ミスティな東京の街をぬけて眠りにつきました。
もし、好きな人と一緒にあんな音楽を聴いてしまったら、
世界のすべては、穏やかで幸せでありますようにと
祈ることしかできない夜だったでしょう。笑


 ジャズは20世紀アメリカでうまれた音楽で、
 宗教的儀式などの側面とは少し離れた
 モダンミュージックと呼ばれた音楽。

 私が歌うジャズを聴いた
 新之介さんが言ったことは、
 「お前、本当に日本人だな」
 ということだった。
 昨晩のライブに脳から心から魅了されながら、
 私が思い出したのは、
 そんな言葉だった。

 それは、アメリカのジャズに心から陶酔し、
 盲目的に崇拝し、血肉にしてきたとて、
 しかし、あんなにみずみずしく、うつくしく、
 繊細で艶やかな音楽を奏でるのは、
 ああ彼らは日本人なのだなと強く感じてしまったから。


もし日本列島が、
あと少し大陸の近くにあったとしても、
あと少し太平洋の沖にあったとしても、
こうは成らなかったのではないだろうか、
というまさに絶妙な位置にあり、
西の大陸からのあらゆる文化がなだれ込む受け皿のような
形さえしている東の端のこの国の、
それはきっと独特な
バランス感覚かもしれない。

あらゆる文化をのみ込み受け入れながら、
すべては日本的なものとなって根付くという
このバランス感覚。

軽やかに肯定しながら、
同時に否定しているという
相反する作用を内包する、
アンビバレントな感情を、
アメリカのジャズという音楽のみならず、
あらゆるものに抱きつつ、
バランスをとってきた、
この国のしたたかな感覚を、
思い起こしてしまった。


 先の「面打」というブログに、
 和の心にて候グループの長津代表は、
 「大都会と大田舎を併せ持つカナコ」と
 コメントを寄せてくださいました。

 思いもよらないお言葉をいただき恐縮しながらも、
 すごく良くわかる。と密かに膝をうったのは、
 これまで考えたこともなかったけれど、
 私は大都会を愛し、そしてまだ見ぬ大田舎を切望していました。
 同時に、大都会を嫌悪し、大田舎を信じていませんでした。

例えばジャズを、都会を、田舎を、
崇拝しながらも同時に、強く嫌悪する気持ち。
私にはいたる所に存在し、いつも両方を背負い、
だから極端な一つだけの結果、
というものを持ち合わせません。
これは実は、とても日本的かもしれないと、
改めて思うきっかけでした。


と、随分長く話が回り道をしてしまいましたが、
今回お伝えしたかったことは、
タイトルの一行で、すべてです。笑

そして、美しさも、エレガントも、
相反するもの(アンビバレント)の振れ幅の大きさに比例している。
と実感した、素晴らしいライブへの感謝の気持ちと、
長津代表への、返礼の気持ちを込めて。

2009年4月17日金曜日

面打



能面師という人はきっと、
どんな形であれ、
心の奥底に激しい修羅を持った
ものすごくドラマティックな時間をすごした人だろう。
なんとなくずっと、
勝手にそう思っていた。



しかし先日、
和の心にて候グループ長津代表のご縁でお目にかかった能面師も、
この映画で、面を彫る新井達矢氏も、
少年のようなあどけなさや
草原のような穏やかさを持ち合わせた方で、
私はあっさり期待を裏切られてしまった。

最近、「面打」という映画をみた。
この映画はインタヴュー映像などはなく、
サク、サク、サク、サク、という音だけが同じリズムを刻み、
ただの四角い木の塊を、ただひたすらに彫り続け、
完成した面は能楽師中所宣夫氏により、
舞台で上演され、終わる、
完全ドキュメンタリー映画である。
驚くことにこの能面師は齢22(当時)だそうで、
初めて面を彫ったのは小学生のころだったという。
特に伝統芸能の家系に育ったわけでもなく、
ただ地元東京羽村市の神楽などに親しみ、
面に興味をもったそうだ。


イタリアの靴職人のサルヴァトーレフェラガモは
子どもの頃初めて妹の靴をつくったとき、
ひとつひとつの作業を「想い出しながら」
靴をつくったという。
長い長い魂の旅のなかで、
過去に靴を作った記憶をよびおこしていたのだろう。
そんなことでもなければ、子どもが靴をつくったり、
能面彫ったり、しないだろうと思う。

「木」という素材と真摯に向き合い続け、
そこから有形を掘り出していくという工程には
修羅もドラマも必要ないのかもな。笑


人はなぜ、面をつくるのだろう。
人はなぜ、面をつけて舞うのだろう。
面を通して表現される人のこころの喜怒哀楽は、
人体の筋肉と皮膚が直接空気にふれて表現される喜怒哀楽と
どのような差異があるだろう。
面をつける事による感情や身体の変化とは、
どのようなものだろう。

抑圧か。

解放か。


洋の東西を問わず、有史の以前から
人は面(マスク)をつくっていた。
神々や精霊、あるいは動物などのマスクは、
それを用いてそのものに人格が変化するものと信じられたり、
宗教的儀式や儀礼にも多く使われた。


面をつける。
自分ではない、何か、に
肉体をトランス。

スイッチ、オン。


映画が終わったあと、そんなことを考えながら、
渋谷の雑踏を歩いた。

2009年3月29日日曜日

奉納

祖母はよく、
神様にカナコのことお願いしてきたからねと、
西に東に、神仏のいるところへ行ってはそう言い、
また、毎年高野山の小さなお札を送ってくれました。

そんな祖父母をおくって何年も経ってから、
私は今ごろやっと、そのことの、大切な意味を、
わかり始めているのです。


私は、
東京の東のはずれで、
所謂大きな団地という集合住宅で育ちました。
所謂日本の原風景的な心象風景も持ち合わせず、
その土地の人々が綿々とつないできた祭事もなく、
神様を、近所という狭い子供の行動範囲の中には
感じることがなかったのです。

ただ、信仰する神は持っていないけれど、
大きな何か、と、確実に“繋がっている”
ということだけはずっと昔から知っていました。


先日、七面山にて、七面大明神さまへの
奉納の演奏に参加させていただきました。

神様へ、音を、奏でる。

なんというか、言葉ではどうにもできない、
どうにもならない、感覚でした。
その時間はただただ、音に集中していただけなので、
絶対時間の長尺も何もよく覚えてはいないのですが、
下山して、さらに平地へ戻った今では、
部屋を散らかしっぱなしにしていたり、
もうそこらへんにポイッとゴミを捨てたりは
けして出来ないようになったな、
(これまでもポイ捨てはしていませんが、笑)
という実感がボディーブローのように
きいてきます。

祈りを捧げるのではない、
奉納というこの言葉が、初めてリアリティをもった
貴重な時間でした。


祖父母は、奉ずる、という行為を、
いつも自然にしてきていたのだと思う。
脈々と続いてきたご先祖様たちを、
いつも感じながら、生きていたと思う。
そして自分たちもそれを紡いで
私をたからものと言って育ててくれました。


祖母が笑っている気がする。
ありがとう。

私はこれから、だね。