2008年7月10日木曜日

民族の呼吸、なのだ

先日、ちょっとご縁があって、
国立能楽堂へ、お能を観にいきました。
美しかった。
極限まで無駄なものを省いて、
抑圧的に内へ内へと向かっていく、感情の表現。
ほんのわずかに膝をおり、頭をもたげた、たったそれだけの、
そのわずか数秒の動きに、恨み嘆き絶望が瓦解したことが、解る。
小面へ、ゆっくり、左手を上げただけで、女が悲しいことが、解る。
表現する方もすごいけれど、それを受け取る側の観客だってすごい。
日本人てすごいな。と思った。

もう一つ。
完全にすごいなと驚嘆したことは、
誰も拍子をとっていないのに、鼓が、ちゃんとシンクロする。
普通だと思って聞いているかもしれないけれど、
実はこれはかなりすごいと思う。
「イヨォ~、コン」と鳴るわけだが、「イヨォ~」の長さはそれぞれ違うし、
「コン」を伴わない「イヨォ~」だってあるし、音程だって違う。
今の私たち日本人は、学校に入る以前から、西洋の拍子の音楽をずっと聞いてきた。
そういう耳からすると、このことは、結構すごい。
もちろん、日々の、訓練の結果があることはいうまでもない。
だけど、それだけでもない。絶対。
とある、非常にお世話になった、大先輩に聞いた話がある。
アルゼンチンタンゴのピアソラのキンテートを招聘した際のこと、
誰も指揮者がいるわけでもないのに、
なんのきっかけで入ると決まっているわけでもなさそうなのに、
ザッ、ザッ、ザッ、と刻まれるリズムは全く狂う事もなく、
確実にバンド全体が常にシンクロしていて、
どこの何でリズムを取っているのか全くわからなかったと。

語弊があるかもしれないけれど、日本古来の音楽には拍子がなく、
(三拍子や四拍子といわれるように、ずっと同じリズムではないという意味で)
この拍子がないからこそ、無限に広がる拍子の中で自在に制動をくり返す。
それは指揮者がなくとも、きちんと同調する。
これは、訓練された芸術家や職人たちだけのものではない、
民族が共有するリズム。それが、民族の呼吸だと思う。
なんて素敵なんだろう。

能舞台へ行く。
呼吸を深くし、鼓の音と重厚な地謡に集中していくと
鼓を訓練したこともないのに、呼吸がわかってくる瞬間がある。
ものすごく神経が覚醒してくることがわかる。
ほんのちょっとした動きにも敏感になる。
小さな表現が、わかる。

けして特別なことではない、美しき日本の文化の日常なのだ。
これは、茶道や華道にも通じる、日本人のフォーカス。
ご存知の通り「和の心にて候 in 熱海」は能舞台にて行われました。
新之介さんは、お能についても沢山ご存知でいらっしゃるので、
またまた取材をしなければ。。。

結果は続編をお待ち下さい。では。笑

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