2008年10月10日金曜日

幾つかの、ああよかった

来月、ブラジルの伝説、ジョアン・ジルベルトが来日する。
今年はボサノバ生誕50周年だそうで、
ボサノバの歴史は、ジョアンがデビューした
1958年からのスタートを意味している。
「イパネマの娘」などに代表されるヒット曲の数々は
その後も世界中の音楽に影響を与え続け、
もし、ジョアンがいなかったら、20世紀のポップスは、
今のものではなかったはず、という見方さえある。
ジョアンは長年、TVや新聞などマスメディアへの出演や取材などもあまりなく、
ただただひたすら音楽と向かい続け、ブラジルの人たちの心の音となった。
ボサノバ生誕50周年にあたり、
ブラジルのサンパウロで14年ぶりに行われたコンサートは、
数万円のチケットが40分で完売したそうだ。

ジョアンは2003年の初来日から、
2004年、2006年と今年で4度目の来日コンサートとなる。
本国でさえ14年ぶりだというのに、
こうして何度も日本で演奏を聞くことができるのは、
本当に幸せなことだと思う。
なぜか。
ジョアンは後日、
「こういう聴衆を何十年も探し求めていた」と言ったそうだ。

ジョアンはその演奏の表現から、というか、
非常にピアニッシモ(小さい音で演奏する)を
大切にしているアーティストなのだと思いますが、
彼が日本のオーディエンスに深く感動する意味がちょっとわかる気がした。

以前のブログに、お能の話を書いたことがあったけれど、
芸能の素晴らしさはもちろんのことだが、
受け取る側の感性だって要求される、舞台なのだ。
ぴんと張りつめた静寂からのほんのわずかな動き、
音程のゆらぎ、リズムの変化、
そういうものから様々な情景を受け取っている
日本人の感覚って、独特で特別なものなのだと思う。
お米やお豆腐に味が無いなんて日本人はいわない。
ごく普通の感性だけれど、外国からみたら、
ソースをかけちゃうようなことと同じで
アンプを通して大音量で叫ぶより、ピアニッシモにも美学があるのだ。
(というか、器楽演奏でも、歌でも、フォルテシモよりピアニッシモが難しい)

これは日本人の呼吸方法にも由来していると思うけれど、
きっと他の外国のコンサートで、こんな静寂って起こらない。
さざ波ひとつないしんとした水面に、ほんの小さな雫が一つ落ちる時、
それは、同心円上に隅々までいっぱいに、ちゃんと伝播していく。
どんな大きなコンサートホールでも、
この静寂が能舞台やお茶室と同じ効果をうむのだ。
マナーが良いとか、おとなしいとか、
そういうことではきっとないんだな。
外国のアーティストが、日本の観客は特別だというのは良く聞く話だが、
ジョアンが感じたのはそういうことかな、と思っている。

現代の人々が、多くお茶などの伝統的な所作に深く精通しているわけではない。
それでも、ジョアンが感動するのは、新之介さんのお言葉をお借りするなら、
先人が大切にした感性が、脈々と、受け継がれ、備わっているからなのだ。
そして、現代の私達は、遠くブラジルの至宝を何度も聴くことができるわけです。
ああよかったな。笑


よかったついでに、最近感動したお話をもう一つ。
少し前の週末に、美空ひばりさんの特集番組を放送していました。
私はこの手の番組には、殆ど15分おきに号泣してしまうので、
だいたい、ハンカチというか、タオルなくしては
見る事が出来ないのですが、笑
先日のものは、特別に感動しました。
ファンの間では、(まあ、私の中では、という意味ですが、、)
もう伝説となっていた、プッチーニオペラのアリア
「歌に生き、愛に生き」を聴く事ができたから。
うまいなあ。本当にうまい。すごい。もう何も言葉ではどうにもできない。
裏声を使ってピアニッシモで表現される切ない切ない声がすばらしい。
かの岩城宏之(N響の正指揮者も務めた)をして「宝物」といわしめた絶唱。
プロデューサーさま、ディレクターさま、本当に本当にありがとう。
残念ながら、私は生での歌声を聞く事ができなかったけれど、
同じ時代を生きる事が出来て、こころから幸せだと思った。
日本には、美空ひばりがいる。

ああよかった。

2008年10月6日月曜日

大人のいうこと

私は子供の頃、科学者になりたいと思っていました。
ドラえもんやアトムを作るような人になろうと思っていたのですが、
科学ではなくとも、何か研究をする人がいいなと、
そうして人や未来に関わろうと考えていました。
が、幼稚園に通う頃から宝塚などをみて育った私は、
ティーンエイジも後半になるころには、
芝居や音楽にかぶれちゃって、
ウットリしてはアドレナリンを放出するという毎日。
研究や科学ではなく、ウットリを広めて世界に貢献しよう!
と、さっさと大学に行く事をやめてしまいました。笑

先日、そろそろ還暦を迎えるという大先輩のクリエイターと
久しぶりにお会いする機会があり、近況などをお話させていただいた際
「カナコさんも結構な大人でしょう。
 人生も70年とすると、そろそろ折り返しの頃になりますよねえ。
 最近はいかがですか。」

ががーん!衝撃的なお言葉を頂戴し、
後半戦を迎えるにあたり、まずは背筋を正しました。笑

自分が学校を卒業した頃は、これまでいた世界とは、
なんてなんて小さくて限られたところだったのか!
世界はなんて広く奥行きのある事だろう。
と思う程、世の中を深く泳ぐ大人の人は多彩でした。
良いものは良い、悪い物は悪いと、
それぞれの尺度や価値観は違えども、
その経験に裏付けされた強く折れない意思を、
きちんと伝えて下さる大人が世の中にはちゃんといました。
一生懸命生きて、年月を重ねれば、
こういう風にしなやかな存在感を身につけることが出来るのだと
感動すらしました。
とても恵まれて幸せなことであったと思います。

青春の頃は、自分が思うメッセージを、
とにかく発信したい、分かってもらいたい、
一方通行でもいいから伝えたいという気持ちでいいと思う。
でも大人になったら、きちんと培われてきた何かを
「伝えて」いかなければ。
大人の伝えることは、ともすれば恥ずかしいとか
みっともないとか言われそうな昨今、
新之介さんは意思を発信する、貴重な大人の一人であり、
新之介さんのような大人がきっとみんなに必要なのだと思うのです。

人が本気で訴えようとしていることに、
人はそんな簡単にそっぽを向くのは難しい。
だから、新之介さんと、その「和の心にて候」には、
たくさんの人の思いをのせて、
いろんなものが集まってくるのだと思います。
その発信を是とするか非とするかは、
受け取った側がこれからさきの未来のさまざまな経験の中で
理解し、判断し、選択していくべきことだと思いますから。

こうして新之介組に参加させていただきながら、
そして、たくさんの気付きを重ねてゆくのだと思います。
私は大人だというにはまだ満たないけれど、
先達から受け取ったものを紡いでいくことは、
少しずつだけど、出来ると思う。
お返ししていかなきゃね。折り返しだからね。。。。
う、ぅ。。。

2008年10月5日日曜日

鋸山

今日は発声と新しい曲の練習しました。
「黒いオルフェ」

先週鋸山から帰って、
ちょっと体調が違うなあと思っていたのですが、
声を出してみてやっぱり変わったと実感しました。
多分細胞に新しい何か、が加わったのだと思うのです。
いらっしゃい。こんにちは。
そしてこれからもよろしく。

私は普段の生活で山登りなんてもちろんしたことがありませんが、
夜が空ける前に明かりを持って登山道に入ったことが、
なんだか妙に懐かしい気さえしました。
KNOBさんは山頂でディジュリドゥの音を捧げ、
その姿に、改めて本当に美しい方だなと思い、
太古の昔にも、もしかしてこんなふうに、
こんなメンバーで、桃太郎のきびだんごよろしく、
鬼退治にでも行っていたら面白いなと思いました。笑
こうして山頂で初陣の武運を祈る儀式をしてね。

途中、KNOBさんが鎮魂のディジュリドゥを奏でて下さいました。
私はどうしてもその場所の奥まで行けずに、
少し遠くからお祈りをしました。
肉体はなくなっても<思い>はこの場所に残っている、
そういうことを知らされる山でした。

新之介さん、KNOBさん、そして新之介組のみなさんと、
ゆっくりお話をすることも出来たし、
細胞君にあたらしいお客様も来たし、
とても良い旅でした。
それにしても、新之介さんは、改めて、
ニューロンの軸索の多様な方だなと感じたのは、
今回一緒に鋸山へ向かったみなさんそれぞれと、
それぞれ全く違う面で繋がっているのだなということ。
面白い。
それぞれ別のルートから、
集合場所は山の頂きにて、
では、また後ほど。
ですね。