2009年3月29日日曜日

奉納

祖母はよく、
神様にカナコのことお願いしてきたからねと、
西に東に、神仏のいるところへ行ってはそう言い、
また、毎年高野山の小さなお札を送ってくれました。

そんな祖父母をおくって何年も経ってから、
私は今ごろやっと、そのことの、大切な意味を、
わかり始めているのです。


私は、
東京の東のはずれで、
所謂大きな団地という集合住宅で育ちました。
所謂日本の原風景的な心象風景も持ち合わせず、
その土地の人々が綿々とつないできた祭事もなく、
神様を、近所という狭い子供の行動範囲の中には
感じることがなかったのです。

ただ、信仰する神は持っていないけれど、
大きな何か、と、確実に“繋がっている”
ということだけはずっと昔から知っていました。


先日、七面山にて、七面大明神さまへの
奉納の演奏に参加させていただきました。

神様へ、音を、奏でる。

なんというか、言葉ではどうにもできない、
どうにもならない、感覚でした。
その時間はただただ、音に集中していただけなので、
絶対時間の長尺も何もよく覚えてはいないのですが、
下山して、さらに平地へ戻った今では、
部屋を散らかしっぱなしにしていたり、
もうそこらへんにポイッとゴミを捨てたりは
けして出来ないようになったな、
(これまでもポイ捨てはしていませんが、笑)
という実感がボディーブローのように
きいてきます。

祈りを捧げるのではない、
奉納というこの言葉が、初めてリアリティをもった
貴重な時間でした。


祖父母は、奉ずる、という行為を、
いつも自然にしてきていたのだと思う。
脈々と続いてきたご先祖様たちを、
いつも感じながら、生きていたと思う。
そして自分たちもそれを紡いで
私をたからものと言って育ててくれました。


祖母が笑っている気がする。
ありがとう。

私はこれから、だね。

2009年3月1日日曜日

十方彩雲 色








これが日本を象徴する色だと、
新之介さんがおっしゃいました。

赤と白は、わかりやすい。
日の丸、様々な紅白、赤ちゃんに白装束。
たくさんの風習や文化とともに、
なじみ深い。

黒。
私はこのいろに大きく膝を打った。

18世紀、遠くフランスのマリーアントワネットを魅了した蒔絵。
日本の漆黒は、その他のどの色よりも黄金が映える。
偉大な母、オーストリアの女帝マリアテレジアも、
ダイヤより漆器というほど、愛好したという。
漆器は英語で「JAPAN」だ。


これらすべての色は、
どれも光にまつわっている。

すべてを吸収し光のない、黒
大気を通して地球に届く太陽の色、赤
すべての光を解放すれば、白

西洋の色彩は絢爛豪華でビビットである。
どうしてこんなに鮮やかで美しく、
色が出せるのだろうと思ってきた。
フランスやイタリアに注ぐ太陽の光は、
水分を多く含んだ空気と大地をもつ、
日本に注ぐ光とは全く違うのだと、
そのことに圧倒されてきた。

しかし、この漆黒に輝きを見いだした
我々の先輩たちが感じたように、
私はいま、この光が美しいな。
と思うようになっている。

さて。
この三つの色を、
どうして伝えていきましょうか。