ヤバかった。
などと、当欄には似つかわしくない表現を使ってしまうのも、
本当にヤバいライブに行ってしまったからです。笑
この日聞いた音楽は、
美しくて美しくて美しく、
私は、また一つ胸の奥の氷のかけらを
ゆっくりとゆっくりと、そしてまた一瞬のうちに、
解放し、気化させ、
まとわりつくようなしっとりとした湿度の中で、
甘く渋いワインをのみ、
ミスティな東京の街をぬけて眠りにつきました。
もし、好きな人と一緒にあんな音楽を聴いてしまったら、
世界のすべては、穏やかで幸せでありますようにと
祈ることしかできない夜だったでしょう。笑
ジャズは20世紀アメリカでうまれた音楽で、
宗教的儀式などの側面とは少し離れた
モダンミュージックと呼ばれた音楽。
私が歌うジャズを聴いた
新之介さんが言ったことは、
「お前、本当に日本人だな」
ということだった。
昨晩のライブに脳から心から魅了されながら、
私が思い出したのは、
そんな言葉だった。
それは、アメリカのジャズに心から陶酔し、
盲目的に崇拝し、血肉にしてきたとて、
しかし、あんなにみずみずしく、うつくしく、
繊細で艶やかな音楽を奏でるのは、
ああ彼らは日本人なのだなと強く感じてしまったから。
もし日本列島が、
あと少し大陸の近くにあったとしても、
あと少し太平洋の沖にあったとしても、
こうは成らなかったのではないだろうか、
というまさに絶妙な位置にあり、
西の大陸からのあらゆる文化がなだれ込む受け皿のような
形さえしている東の端のこの国の、
それはきっと独特な
バランス感覚かもしれない。
あらゆる文化をのみ込み受け入れながら、
すべては日本的なものとなって根付くという
このバランス感覚。
軽やかに肯定しながら、
同時に否定しているという
相反する作用を内包する、
アンビバレントな感情を、
アメリカのジャズという音楽のみならず、
あらゆるものに抱きつつ、
バランスをとってきた、
この国のしたたかな感覚を、
思い起こしてしまった。
先の「面打」というブログに、
和の心にて候グループの長津代表は、
「大都会と大田舎を併せ持つカナコ」と
コメントを寄せてくださいました。
思いもよらないお言葉をいただき恐縮しながらも、
すごく良くわかる。と密かに膝をうったのは、
これまで考えたこともなかったけれど、
私は大都会を愛し、そしてまだ見ぬ大田舎を切望していました。
同時に、大都会を嫌悪し、大田舎を信じていませんでした。
例えばジャズを、都会を、田舎を、
崇拝しながらも同時に、強く嫌悪する気持ち。
私にはいたる所に存在し、いつも両方を背負い、
だから極端な一つだけの結果、
というものを持ち合わせません。
これは実は、とても日本的かもしれないと、
改めて思うきっかけでした。
と、随分長く話が回り道をしてしまいましたが、
今回お伝えしたかったことは、
タイトルの一行で、すべてです。笑
そして、美しさも、エレガントも、
相反するもの(アンビバレント)の振れ幅の大きさに比例している。
と実感した、素晴らしいライブへの感謝の気持ちと、
長津代表への、返礼の気持ちを込めて。